函館市の縄文文化交流センターに常設展示され、「茅空(かっくう)」という愛称で呼ばれる中空土偶は、美しい表面の研磨と鮮やかな模様が非常に魅力的な土偶です。
個人的には、その顔の表情に何とも言えず心惹かれます。穏やかに優しげで、どこか儚さも感じる表情なのです。私には私が6歳のときに11歳で亡くなった兄がいるのですが、彼の顔を思い出します。
茅空は、地元の主婦の方がジャガイモ畑で作業中に発見しました。
私は、茅空が今の時代の日本人に見つけてほしくて、3,500年の時を超えて地中深くから現れたと考えています。茅空が現れたことを契機に、垣ノ島遺跡や大船遺跡が整備され、北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産登録されることに繋がっていくのです。
私は定期的に、函館市街から車で40分ほどかかる函館市縄文文化交流センターへ、茅空に逢いに行っています。
土偶は月を見上げているのか

土偶は全国で18,000点ほど発見されており、三重県松原市の粥見井尻遺跡で発見されたものが最古(13,000年前)とされています。
初期の土偶は、頭部はあっても顔は描かれていなかったり、足が極端に簡略化されたりしています。顔が描かれるようになったのは、縄文中期(5,000年前)以降です。
縄文中期以降の土偶には共通点があります。それは顔がわずかに上方か、斜め前方を見つめていることです。
ある研究者は、それは月を見上げているからだといっています。何故、月なのでしょうか。
月が「滅びと再生」という自然の循環の象徴だからです。月には満ち欠けがあります。
満月は少しずつ欠けていき、下弦の月を経て新月に至ります。それからまたわずかずつ満ちていって上弦の月となってから満月に還るのです。
縄文の人たちは、月の満ち欠けに象徴される循環が自然の営みの根底にあり、人間もまたその一部であることを体感していたのでしょう。
そして、その大いなる営みの恩恵が自分や家族、集落とともにあることを、土偶を通じて願ったはずです。
人を具現化し永続性を現わす

茅空も、横から見るとわずかに上方を見つめていることがわかります。
茅空だけではありません。青森県八戸市の「合掌土偶」や長野県棚畑遺跡の「ヴィーナス」も、月を見上げているかのように、やや上方を見据えています。
土偶には、さまざまな形状のものがあります。群馬県郷原遺跡の「ハート形土偶」、神奈川県三沢町貝塚から発見された「筒形土偶」、長野県岡谷市の目切遺跡の「壺を抱く土偶」などです。
他にも、赤ん坊を抱いている又は背負っている土偶や明らかに妊婦の土偶もあります。
これらの土偶の共通点は、蘇りや生命の誕生、循環する自然の摂理への畏怖です。土偶を精霊や神性を具現化したものという捉え方がありますが、私は人間そのものだと思っています。
人は身体を得て誕生しますが、やがて身体は朽ちて滅びます。しかし、それを土偶という形で残すことで、人も自然と同様の永続性を持つことを現わしていると考えるからです。
大地に立って、月を見上げる

1975年、北海道函館市の著保内遺跡から発見された茅空は、長さ170㎝、幅60㎝、深さ25㎝の墓と推定される穴から出土しています。
公式の発表では、「海岸方向に頭位を持つ伏臥(うつ伏せに寝ること)状態で存在していた」としています。しかし、発見者の小坂ヤエさんは、「不確かではあるが、土偶は垂直に置かれていた」と語っています。
人そのものを具現化した土偶は、大地に立って、月を見上げていなければなりません。人間ははかり知れない力を持つ自然の中にありますが、同時に、その自然の持つ厳しさに対峙し自立して生き抜く存在だからです。
縄文初期の土偶は、足が極端に簡略化されて自立できませんでしたが、やがてそれは完全に自立した姿になっています。
また、縄文中期以降の土偶の多くは完全な形で出土しておらず、一部が破壊された状態で発見されています。これは完成した土偶を壊すことで、滅びの後の甦りを願ったものです。
墓は死者のための褥(しとね)であり、仮の住まいです。そこに、大地に立って、月を見上げる土偶を配置することは「死者の再生への祈り」に違いありません。
そして同時に、人間という存在への賛歌でもあるのです。