令和6年6月初めに、「地元の神社をすべて巡る」と決めたのが、人生のターニングポイントでした。
この時点では、この決心が自分の単なる思いつきか、天からの啓示なのか判然としていません。どちらも脳という変換器を通るシグナルなので、そのときの私には、違いを認識するのが難しかったのです。
神社巡りによって、何か良いことが起きるのではないかという期待もありませんでした。好奇心だけで走り出すのが得意で、途中で投げ出すか、やり遂げても思うような結果が得られないことばかりだったからです。
そして、これが不思議なのですが、「自分に関するお願いごとは一切せず、地元の人々と地域の自然が守られること」を祈ると決めていました。
神さまに導かれた橡木山白木神社

私は生まれも育ちも北海道函館ですが、函館市は2004年に「平成の大合併」をしており意外と広大です。
作成したリストにある50数社の神社巡りは、仕事の合間を縫っての巡行ということもあり、かなりの時間がかかるなという印象を持ちました。
スマホのナビにリストの住所を入力し、ナビの指示通りに行くだけなので探して回るという面倒はないです。
初日、2社を巡って3社目に向かおうとしたとき、なぜかナビをセットし忘れていました。車は普通にスタートさせていましたが、ただなんとなく「あっちのほう」に行こうという感覚しかありませんでした。
さほど広くない道路を5分ほど走っていると、道路脇に自立看板があり、「橡木山白木神社(とちのきさんしらきじんじゃ)参道」と書かれています。
車を駐車させ、リストを見てみましたが、この名称の神社はありませんでした。なぜ記載漏れしたのか考えながら、この神社をリストに追加することにしました。
参道といっても、田んぼの合間にある、乗用車1台だけしか通れないほどの細い道です。橡木山白木神社の鳥居を眺めながら、延長400mほどの参道を走っていくと到着しました。
境内手前の砂利敷きの駐車場に車を停めると、先に1台の乗用車が停まっており、その隣に男性が一人立っていることに気がついたのです。
雷で2つに裂けた幹が根づいたご神木

まるで私を待っていたかのように佇んでいた男性は、私より少し年長者に見えました。挨拶をかわし、少しだけ世間話をした後、その方はご神木について語ってくれました。
『大昔、ここに橡木(とちのき)の大木があり、ある日尋常ではない激しさと強さを持つ雷光に打たれたそうです。そのまま枯死すると思われた橡木は、裂けて地についた幹から根を伸ばし、大地に根づき生長を続けます。みるみるうちに、たくましく生長していく橡木に神性を感じた地元の人々は、心を込めて祀るようになったそうです。』
語ってくれた後、その男性は、参拝しようとする私を気遣うように立ち去られます。
後日、私が神社に参拝しているとき、参道脇の集落に住んでいる年配の女性が見えられました。私が参拝を終えて帰ろうとするとき、目が合ったので挨拶し立ち話をしました。
話の中で、その男性のことを言うと、その方は代々この神社の氏子総代をしている家の現在の当主だそうです。名字を聞くと、私も聞いたことがある地元の名の知れた事業家でした。
リストにない神社に、呼ばれるように参拝しに来て、そこに代々氏子総代をしている家の当主の方が待っていたかのように佇んでいて、神社のご神木の話を語ってくれる。
それなりの年月生きてきた私でも、経験のないことです。そして、これが橡木山白木神社の神域で経験した不思議な出来事の始まりでした。
函館石倉の橡木山白木神社にまつわること

橡木山白木神社にまつわることを2つ付記しておきます。
明治政府で、第2代の総理大臣や農商務大臣などを歴任した「黒田清隆」をご存じでしょうか。戊辰戦争末期、箱館戦争(明治2年/1869年)の五稜郭の戦いで、明治政府軍の陸軍参謀として榎本武揚らが立てこもる五稜郭を攻撃したことでも著名です。
彼が北海道開拓使長官のとき、当地を訪れた際に、この橡木に深く感嘆したということです。
キリシタンの和人幸助とアイヌの娘チヤサニとの悲恋伝説もあります。恋心を抱いた二人は出自と身分の違いから、結ばれることができないと知ると、この橡木の下でトリカブトを用いて心中したという物語です。
この橡木は、樹齢800年とされていますが、千年以上は経っているというのが私の直感です。
逢いに来てくれた美しいアオサギ

令和6年6月以降、月に最低でも1~2回は、橡木山白木神社に参拝に行くようになりました。
令和7年の6月末から7月の初め頃、街中で暮らしている私には珍しい鳥の「アオサギ」をスマホで撮ろうとしました。
市道から入った参道を挟むように田んぼが広がっており、近くには山地や林地もある自然豊かな土地柄のため、田んぼにいるアオサギをよく見かけるからです。
しかし、参道で私が車から降りただけで、必ず山のほうへ飛んで行ってしまい、何度か挑戦しましたが上手く撮れません。
気持ちがスッキリせず、なんとなく残念な気持ちで帰っていくことが続きました。
すると、7月19日朝の7時半頃に、仕事先の街中の病院の駐車場に逢いに来てくれたのです。「写真を撮れ」というように、立木の上に留まってくれました。
すらりとした、美しいアオサギの姿を画像に残すことができました。
湖沼や田んぼなど、水辺に棲むアオサギが普通はこんな場所に来ないはずです。また、立木の枝葉は柔らかくて留まっていられるはずがなく、微妙に空中に浮いて見えるのも不思議です。
私が何枚か撮り終えると、どこからともなく現れたもう1羽と、大きく羽ばたきながら飛んでいきました。
樹木と同体の女性の姿をした精霊

8月9日の土曜日の朝、いつものように参拝し、神社の裏手の山や湧水の細い流れが汐泊(しおどまり)と呼ばれる川に流れ込んでいく様子などをスマホで撮っていました。
この頃には、山並みや川の流れにも手を合わせて、自然の有難さに感謝をするようになっています。そのようにして、何気なく、汐泊川の川沿いの木立も撮影しました。
家に戻り、スマホの画像をチェックしていて、ある画像を見て鳥肌が立ちました。樹木の枝に付いていた白い何かを拡大した画像です。
映っていたのは、枝と同化しながらも、はっきりとしたオーラを放っている女性の姿に似た精霊です。神社の周りの神域に手を合わせる私を好ましく思い、姿を現してくれたのでしょうか。
私は勝手に、「木霊(こだま)の女神さま」と名付けさせていただいて、大切に画像を保存しています。
この次元のものではない、空を行くもの



夏の蒸し暑さのピークが過ぎて、これから秋が深まろうとする9月21日。汐泊川は、先日の雨のせいで濁っていましたが、陽射しは明るかったのを覚えています。
川の上流へ向かって構え、空と木々と川の流れの風景を撮った画像に、あり得ないものが2つ映っていました。
一つは、翼をもっていて鳥の姿に似ています。全体的に丸みを帯びていますが、見慣れた自然の柔らかさがありません。
胴体らしき部分は真っ黒で、目鼻はなく、羽根に覆われている様子もないです。翼部分も特徴的で、団扇(うちわ)のようにのっぺりとしています。
もう一つは、さらに不思議です。見ようによっては、翼を折り畳んだ鳥のようにも見えます。そして、その前方に、この存在の輪郭だけを縁どったようなものが映っているのです。
こちらのほうが一つ目よりも、見た瞬間の私の心身への衝撃度は、比べられないほど高かったことを記憶しています。
私の個人的な分析としては、異次元の何かが、この次元に浸み出してきて再構築された姿ではないかと考えています。
汐泊川のニジマスとの出会いと別れ

神社の神域に現れる動物たちは、神さまのお使いとされることが多いです。もっと直接的にいうと、神さまがそこにいることを知らせる、或いはこれから現れるという「しるし」だと考えられます。
汐泊川のニジマスとの出会いと別れも、人と自然は繋がれるという神さまからの知らせであり、神さまが近くにいてそれを見守っているという「しるし」です。
出会い
10月11日、神社のご神木の裏手にある汐泊川のほうに歩いていくと、ミソサザイでしょうか、茶褐色の小さな鳥の群れが頭の上を飛び渡っていきました。その日の汐泊川は透き通っていて、水量も少なく川底まですっきりと見えます。
なんとなく上流のほうを眺めていると、川面に小さく細いさざなみが見えます。さざなみは少しずつ近づいてくるので、川の魚かと思い、スマホで動画を撮影し始めました。
これまでの人生で川に近づくことも稀で、ましてや川で実際に泳いでいる魚とも縁がなかったので珍しかったのです。このときは、その魚の種類は分からなかったのですが、後日詳しい方が「ニジマス」だと教えてくれました。
体をなめらかに、ゆっくりと動かしながら、小さな波紋とともに川辺に立つ私の目の前を通り過ぎて下流へと向かっていきます。
さざなみが小さくなり、これでさよならかと思ったら、なんとまた上流へ向かってくるのです。川の流れに逆らうように、体の動きは少し大きくなっています。
目視できる距離で、ニジマスの静止画も撮りました。体長は、30~40㎝で、素人目ですが、私には成熟しきった魚体のように見えます。
ニジマスは、ゆっくりと体をくねらせながら上流へと進んでいき、やがて見えなくなりました。
再会
11月2日の日曜日、朝起きるとすぐ家族に「今日、いつもの神社に行くから」と告げていました。家族は、なんの前置きもなかったので、少し驚いた顔をしています。
夢で何かを見たわけでも、急に何かに突き動かされたわけでもありません。なんの違和感もなく、ただ当たり前のことをするときのように、私の中で行くことが決まっているという感覚です。
神社に着いて参拝を終えると、いつもうように川のほうへ歩いていきました。川は濁っていて流れも急に感じます。
私が川辺に立つと、あのニジマス(そうとしか思えない)が泥のような川面に現れたのです。そして、まっすぐこちらに向かってきます。
「お前に呼ばれたのか」と私は感じ、ニジマスのほうも「思い」が通じて驚き、喜んでいるように見えます。ニジマスは、私の足元の川べりで、潜ったり回ったりして離れようとしません。
1mも離れていないような距離で、ニジマスと1時間ほど過ごしました。
私が立ち上がって帰ろうとすると、ニジマスは勢いよく跳ね上がるように、くるくるっとまわって川面に弧を描いて川の中へすっと消えていきました。
別れ
冬の季節を意識し始めた12月2日、いつも通り忙しく仕事に振り回されていたのですが、なぜか神社のことが気になっていました。昼休みを挟んで向かうことにしました。
連日の雨模様で、その日も午後から雨の予報だったので、汐泊川は濁っているだろうと思っていました。しかし、流れは少し急だったものの、きれいに澄んで川底まで見えます。
川辺に向かうと、川底に白く光るものが沈んでいます。
それは、ニジマスの悲しい姿でした。
逝ってから、そんなに時間は経っていないはずです。急な流れの中でも、魚体はまだ形を保っていましたから。
息絶える場所も時間も、私にその姿を見せるために選んだとしか思えません。
前回のあの逢瀬は、最後の別れの挨拶だったのかと思うと、その場をなかなか立ち去ることができませんでした。
(ニジマスとの出会い、再会、別れの動画はXで確認できます。縄文soul @chikaraamano)
私をじっと見ていた白い大きな鳥

ニジマスと最初に出会った日、実はもうひとつ、不思議な出来事があったのです。
神社やご神木に参拝し、ニジマスの動画を撮り終えて、帰ろうと車に乗り込みました。砂利敷きの駐車場を出ようとしたとき、視線を感じました。
視線は、100mほど離れた川の蛇行部分にできた砂州の上で、じっとこちらを見ていた白い大きな鳥のものでした。私には、人の背の高さほどもあるように見えました。
たった1羽、エサを探すでもなく、ただじっと立って、こちらを見据えているように感じました。私は思わず、車から飛び降りて、見つめ返します。
何秒か経過して、撮影しなければと車のスマホを取ろうとしたとき、その白い鳥は大きく美しい翼を広げて飛んで行ってしまいました。
実はこの前に来たとき、ご神木の後方に白い翼だけ(!)を見たのです。翼だけというのは、あまりにおかしな話なのですが、本当に翼だけが空から汐泊川に向かって滑空するのを一瞬ですが見たのです。
それから、何とか本物の鳥を見たいと思っていたので現れてくれたと思うのですが、スマホでの撮影は許されませんでした。
私が見たこの大きな白い鳥について、ネットで調べると、ダイサギというサギの一種だと分かりました。しかし、遣わされたのは神さまだと思います。
この神域で起きた一連の出来事に関わっている、私という存在を確かめにきたのです。

まとめ

6月に始めた神社巡りは、11月半ばまでかかり完了しました。追加になった神社、廃社になっていた神社など、いろいろありましたが、最終的には52社をリストとしてまとめることができました。
縄文時代の自然は、人間にとって今よりはるかに美しく、同時に苛烈だったはずです。
その自然の中にある神や霊の存在は、現代とは比べられないほど、人間にとって生命にかかわる根源的なものだったと考えられます。
私が経験し、今回紹介したような出来事は、当たり前のように起こっていたでしょう。だからこそ縄文人は、すべてのものに神が宿っていると考えたのではないでしょうか。
現代人は、あまりに人間的なものに縛られ、神性や霊性と向き合おうとしなくなっています。この記事が、そのことを考える契機になってくれたら有難いです。