縄文人は、目に見えて手で触れることができる自然そのものだけでなく、この自然に存在する「目に見えないもの」に対しても深い畏敬の念を持っていました。
その「目に見えないもの」は、まれに、否定することが許されない形で縄文人の前に現れたはずです。
身体だけでなく意識や思考、感情も波動であり、個の波動は世界や宇宙というさらに大きな波動の一部であるというと、スピリチュアルに関心のない方は怪訝な顔をします。
しかし、量子力学(あくまで常識の範囲での知識として)の量子と波動の不確定性や観測者問題、量子もつれなどについては肯定的です。
この差は、再現性にあると考えます。私は短期間で不思議な体験を数多くしました。その体験の中から、再現性のある画像として残っているものを紹介します。
異次元の宇宙存在
令和7年10月25日撮影。
函館の日浦海岸で撮ったものです。この日浦海岸は、私の不思議体験の中でも「最上級」の体験なのですが、詳しくは別の記事で報告しています。
太陽の右下に浮かぶ光体です。雲で見えにくいのですが、光体の周りにうっすらと円く、もやがかかっています。
(この画像だけでなく、光体を撮った画像は、他のデバイスに移動すると光体がぼやけてしまうのでスマホの画面をデジカメで撮影しています)

これは日浦海岸の元画像です。人の横顔をはらんだ龍神雲やUFO(?)が映っています。
あと、これをいうと気味が悪いと感じるかもしれませんが、上空に浮かぶ雲が異常なんです。人の顔のシルエットが無数に浮かんでいるように見えます。

以下の3枚の画像は、函館市郊外の、ある施設の駐車場から空を撮影したものです。上から、令和7年11月1日、11月21日、12月9日に撮影。
これは、光体の上部の雲のすき間に、口ひげを生やした男性の顔のようなものが浮かんでいます。

夕陽を撮影したものですが、お陽さまの周りの雲が不思議な形状で、私には異次元の入り口のように感じられます。

この光体のデザインは人工的に見えます。上部にうっすらと白っぽい曲線があるのわかりますか。

令和7年12月16日撮影。
これは、よく行くスーパーの駐車場で撮ったものです。帰ろうとしたら、空を撮れと呼び止められて、また龍神雲が撮れるのかなと思って撮影したのですが。
球体に人工的で規則的な突起が4つ縦列しています。神さまか仏さまか、私のなかにいてくださる縄文神のあらはばきさまに訊いてみたら、宇宙存在だそうです。
このなかに宇宙人が乗っているとかではなく、この物体そのものが宇宙存在ということらしいです。


令和7年12月18日撮影。
その日の午前中、たまに行く海岸線にあるレストランでランチしたくなりました。距離的に離れていたので、どうかなと思いつつも、車は向かって走り出していたという感じです。
何回も行ったことがあるので間違うはずないのに、1本違う道に入ってしまいました。
そうしたら、見たことないくらいの、すごい数のカモメがいました。逆光で黒いですがカラスではないです。
この海岸は、子供のころから知っていますが、こんなにカモメが集まる場所ではありません。魚もこないので。
このカモメの群れを撮らせたかったのかなと思い、群れを何枚か撮りました。その日、家に戻って画像を見たら驚きました。
防波堤の手前に映った白い球体を拡大したら、一昨日、スーパーの駐車場で上空に浮かんでいたものと同じに見えたからです。大きさは違いますが。
経験上、私たちの感じる大きさというのは、あくまで3次元世界だから感じるものなので。これは明らかに、異次元の宇宙存在だと感じています。


令和7年12月14日撮影。
自宅近くの路上で、なんとなく夜空を撮りたくなって撮ったら、キレイな光のラインが撮れました。外灯の明かりだけで、こういうことが起きますか?
撮ったときは、何も見えてなかったです。宇宙存在とは関係ないと思いますが、キレイだったので共有します。

龍神雲と未知の力
古くから、龍神さまは日本人にとって馴染みのある存在です。自然を含む、この世界(宇宙)の核心的なエネルギーと人の間にいて、橋渡しをしてくれるような未知の力を持った存在だと感じています。
龍神さまも高次元のエネルギーだと思いますが、その姿を見られるのは、龍神さまに本当に気に入ってもらった人だけのようです。
ただ、龍神さまの存在を忘れさせないため、ときどき雲の形で現れてくれます。個人的には、何か大きなエネルギーの変容があるときに現れてくれるような気がします。
令和7年7月9日、市内の病院の駐車場から。穏やかな龍神さまです。
龍神雲を撮るときは、いきなり、空を撮れとひらめくので撮ります。かならずです、そうでないと撮れません。

令和7年8月2日、これも市内某所です。力強さを感じるお姿です。

令和7年10月25日、日浦海岸です。

令和7年11月8日、函館の縄文遺構で撮った画像です。

雲に描かれるもの
令和7年11月20日、市内のある施設の駐車場で、夕陽を撮ったときの写真です。
鳥(鳳凰さま?)の姿と、欧米人の男性の顔が向き合っているように見えます。

同じ場所で、12月9日に撮影しました。鳥がくちばしで光を運んでいるように見えませんか。

明王さまのオーブ
令和7年7月13日撮影。
我が家のお墓がある墓地で撮りました。墓地の写真は、ほとんど撮ったことがなかったのですが、なんとなく撮りたくなったのです。
撮ってからしばらくして、アルバムを見直したときに気がついたものです。墓地の裏手にある山間の稜線に、白い大きなオーブ状のものが見えます。
この画像ではわかりずらいかもしれませんが、その白いオーブの中に怖い顔が映っているのです。
人々を力ずくでも救いに導く明王さまの「忿怒相(ふんぬそう)」に見えます。


猫と心が通じた日

令和7年11月29日に撮影したものです。
前の日に今年最後の墓掃除にいったとき、我が家の墓のすぐ手前の草むらの中から、いきなり猫が飛び出してきました。
墓参りで訪れる人も少ない時期、休んでいるところに急に私が現れて驚いたと思うのですが、こちらも一瞬どきっとしました。
ちらっとこちらを見たとき、私と目が合うと、立ち止まっています。私は手持ちのお菓子を猫のほうに向かって放りました。
しかし、何かをぶつけられると思ったのでしょう。すごい勢いで駆けていなくなってしまいます。
「おどかしたか。失敗したな」と思いつつ、少し離れた小さな空き地の目立つ場所に、そのお菓子を置いておくことにしたのです。
数年前、事情があって手放した飼い猫の「ニャロ」のことが頭から離れていなかった私は、「ニャロ、ニャロ」と何度も呼んでいました。もちろん、戻ってくるはずはありません。
当日は偶然、仕事(営業)で近くまで行くことになりました。なんとなく、気になっていたので、お墓まで様子を見に行くことにしました。
猫は、いました。
「ちょっと、待っていろよ」と言って、私は急いで近くのコンビニまで車で走り、キャットフードの缶詰を買ってきました。
フタを開けて、ちょっと距離を置いた場所に置きました。猫は、おそるおそる近づくと、食べ始めます。
ときどき私のことを気にしながらも、食いつきはよかったです。食べ終わるところまで、つき合いたかったのですが、待ち合わせの時間があったので戻ることにしました。
どれくらいぶりでしょうか、気持ちが少し晴れやかになりました。



まとめ

最近、私の周りでは不思議なことが続いています。画像や動画にできなかった出来事も多いです。
たとえば、令和7年12月23日に、こんなことがありました。
近所に、朝の5時半くらいからオープンしている温泉があります。その日は、朝早くから温泉に行くような予定ではなかったのですが、体が行きたがったので行くしかありません。
冬ですので、朝の5時半でも真っ暗です。外に出ると、これまでにないほど、夜空の星が美しく感じられて見惚れるほどでした。
すると、星の一つが、スーっと一直線に落下して消えたのです。テレビやyoutubeで見たことのあるUFOの動きとは違います。
そして、その星の動きは1個や2個じゃなく、連鎖反応的に増えていきます。経験のない驚きに襲われながらも、私はスマホのビデオで撮影しました。
星の動きが収まったので、温泉に向かいました。温泉の駐車場で車から降りて、夜空を見上げると、先ほどと同じように複数の星が直線的に真っ暗な空を動いていきます。
ここでもビデオで撮影しましたが、あっという間に、その不思議な動きをする星たちはいなくなりました。
私は車に乗り直し、トータルで2~3分の録画を見直そうとしたのですが、動く星は一瞬も映っていなかったのです。映っていたのは、いつもの夜空だけでした。
神さまか仏さまか、宇宙存在なのかは決められないのですが、私に何を伝えようと不思議な体験をさせるのか考えないわけにはいかなくなりました。
いろいろ思い浮かびましたが、たった一つ、腑に落ちている結論があります。
「自然に人の手を加えることは、自然の波動(神性・霊性)にも大きな変容を求めることであり、その変容は人の波動に決定的な影響を与える」
そのことを一人でも多くの人に伝えることが、「私に与えられたお役目だ」とわからせるために、不思議な体験をさせているという結論です。