私には物心つく前から夢想癖(過剰空想)があり、現実とは夢想を行うために必要な栄養や睡眠による休息を得るためのものでした。年齢を重ね、少しずつ現実の比重が増していくと、よくいう「現実逃避型」の人間として成長していきます。
昭和半ば生まれの私は、現在では普通の高齢サラリーマンですが、今も意識構造の根底には「過剰空想」の残滓が湖底に眠る遺構のように横たわっています。
このような私は思春期以降、入れ物としての自分や環境と、実際に認識している精神的な本質との乖離に「生きにくさ」を感じるようになりました。
何十年にも渡って続いた、この「離人症的感覚」は、あるとき一つの思念によって打ち消されます。それが、自分は「縄文転生人」だという思いです。
縄文に惹かれ、その後に心霊鑑定士と出会う

私が「縄文」というフレーズに出会い、最初に心惹かれたのは2014年頃だったと思います。自分の中に何か「違和感」を感じながらも、人並みに家族を持って10年ほど経った頃です。
初めて「縄文」という単語を聞いたとき体中に電気が走ったわけでも、縄文と深い繋がりのある方と出会ったわけでもありません。自分の深いところで記憶していたものに出会ったような、懐かしい気持ちになったことを覚えています。
同時に、自分にとって重要なキーワードであるような感覚がありました。縄文と聞くだけで、年甲斐もなくワクワクして、気持ちが高揚していくのです。
そういうある日、縁があって地元では名の知れた女性の心霊鑑定士との出会いがありました。
何をやっても思うような結果が出ず、仕事や経済面で悩んでいたので、打開策があればと相談した次第です。
持って生まれたモノがキツすぎる、お坊さん

その心霊鑑定士の方に会ったのは、2023年5月です。1時間ほど対面でお話を伺いました。そのときの話の内容を、心霊鑑定士の方が自らメモにして渡してくださいました。
以下はそのメモの抜粋です(原文のまま)。
無理しない、がんばらない。
生まれつきなの。
人格は良い、仕事はまじめだ。
頭がいい。努力もする!
それなのに結果が出ない。
持って生まれたモノがキツすぎる。
生まれつき、どうしても不運。
あなたの天職はお坊さん。
仏教やるべき人だった。
座禅したほうがいいです。
祈り手。
樹や人を治せる声。
供養する声だ。
「持って生まれたモノがキツすぎる。生まれつき、どうしても不運。何をやってもうまくいかない」の部分は、確かに私の人生は、良かれて思って始めたことが、うまくいかない連続だったので納得はしました。ただ、面と向かって、何をやってもうまくいかないと言われたことはショックが大きかったです。
また、「あなたの天職はお坊さん、仏教やるべき人だった、祈り手。そして、樹や人を治せる声だ」ともいわれました。お坊さんという、いわば聖職者とは真逆の人生を歩んできた私にとって、非常に驚きの言葉でした。
祈りとは内なる神とともに宇宙と繋がること

心霊鑑定士との出会いの後、私は毎朝のように、仏壇に向かって「般若心経」や「大悲心陀羅尼」、「十三仏真言」のような御経を唱えるようになっています。最近ではよく、「仏垂般涅槃略説教誡教」を読経しています。
ただ、それは内なる神を求めるための禊(みそぎ)であり、ポータルでした。そこから求めていったのは「内なる神」です。
内なる神とは、縄文人が畏れ崇めた「自然」や「宇宙」と繋がるための存在です。神さまとか仏さまとか、人はいろいろな呼び方をしますが根源的には一つだと考えています。
このような心境は、読経することで内なる神と繋がった後に体験した、さまざまな不思議な出来事から確信に変わっていきます。