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縄文スタイル

縄文神とともにいる私の不思議な体験③私に何を伝えようとしているのか

縄文人は、目に見えて手で触れることができる自然そのものだけでなく、この自然に存在する「目に見えないもの」に対しても深い畏敬の念を持っていました。 その「目に見えないもの」は、まれに、否定することが許されない形で縄文人の前に現れたはずです。   身体だけでなく意識や思考、感情も波動であり、個 […]

縄文神とともにいる私の不思議な体験②函館日浦の海岸と柱状節理

古くから日本人は、山や岩、樹木などの自然物を信心の対象としてきました。 また、神話という伝承に登場するような超自然的な存在、元々は同じ人間であっても傑出した偉業を成し遂げた存在も神として祀っています。 時には、怨霊を鎮めることを真意として、さまざまな人や場所、遺物を祀ることもあります。 縄文時代から […]

縄文神とともにいる私の不思議な体験①函館石倉の橡木山白木神社

令和6年6月初めに、「地元の神社をすべて巡る」と決めたのが、人生のターニングポイントでした。 この時点では、この決心が自分の単なる思いつきか、天からの啓示なのか判然としていません。どちらも脳という変換器を通るシグナルなので、そのときの私には、違いを認識するのが難しかったのです。 神社巡りによって、何 […]

【縄文神とは何か】私の内なる神、龍蛇神のアラハバキさまについて

アラハバキは、「荒脛巾」とか「荒波々幾」などと表記されますが、これは後世に音合わせで符合させた「あて字」ではないかとされています。つまり、文字が一般的ではなかった時代から信仰されていた神さまなのです。 荒波々幾大神(アラハバキ大神)を祀る金吾龍神社(東京都渋谷区代々木)のサイトには、「社伝によれば5 […]

自己紹介に代えて|樹や人を治せる声をもつ祈り手、天職はお坊さん

私には物心つく前から夢想癖(過剰空想)があり、現実とは夢想を行うために必要な栄養や睡眠による休息を得るためのものでした。年齢を重ね、少しずつ現実の比重が増していくと、よくいう「現実逃避型」の人間として成長していきます。 昭和半ば生まれの私は、現在では普通の高齢サラリーマンですが、今も意識構造の根底に […]

縄文の土偶は死者の再生への祈りであり、人間という存在への賛歌

函館市の縄文文化交流センターに常設展示され、「茅空(かっくう)」という愛称で呼ばれる中空土偶は、美しい表面の研磨と鮮やかな模様が非常に魅力的な土偶です。 個人的には、その顔の表情に何とも言えず心惹かれます。穏やかに優しげで、どこか儚さも感じる表情なのです。私には私が6歳のときに11歳で亡くなった兄が […]